色のおはなし 滋賀草津市のカラーコーディネーター白川綾華

白川綾華のストーリー

time 2019/05/27

白川綾華のストーリー

今日は、私のこれまでをお話しようと思います。
 
昔の自分を振り返っていると、どうして今
"人と人とのつながりを大切にするのか?"
"いつも相手の思いに寄り添おうとするのか?”

そこに繋がるものが見えた気がします。
 
 

もう、ここから飛んでしまおうか

 
 
【幼少期~小学生】
 

私は、一級建築士の父と、専業主婦の母の間に生まれました。
年子の姉がいる、4人家族。
 
育児日誌を読ませてもらったら
「この子は何か食べさせていたら機嫌がいい」と書かれていました。
 
根っからの食いしん坊のようです。笑
 
父が休みの日には、大きな公園にお弁当を持って遊びに連れて行ってもらった記憶があります。
 
体を動かすのが好きな両親のもと、伸び伸びと育ててもらいました^^
 
 
***
 
 
そんな私が、小学校ではじめて人生の壁にぶつかることになります。
 
それは「いじめ」
 
上靴を隠されたり、トイレで水をかけられたり、、、なんてことはなく、ただひたすら無視されるというもの。
 
昨日まで仲良く遊んでいたのに、ある日突然無視されるように。
 
なにが起こったのか、分かりませんでしたね。
 
学校にいても、自分がここにいないかのような錯覚。
 
だって、話しかけても何も返ってこない。。。
 
1ヶ月、2ヶ月と月日が過ぎても何も変わらない。
 
 
===============
 
友達って、何なんやろう。
友達って、信用できひん。
 
===============
 
 
もう人間不信になっていましたね。
 
毎日学校へ行っても楽しくない。
でも、お母さんに言ったら悲しむだろうから言えない。
 
休み時間に一人、3階の教室から外を見下ろし『もう、ここから飛んでしまおうか。』と本気で考えていました。
 
結局、母に相談して、学校の先生も解決しようと動いてくれたけど、この関係は変わることがありませんでした。
 
 
***
 
 
辛かったな~。
いっぱい泣いたな〜。
 
でも、友達との関係がうまくいかなくなったのは、何かきっかけがあったんでしょうね。
 
自分が何気なくしたことでも、相手にとってはすごく嫌なことだった、、、なんてこともあるかもしれない。
 
今は、健やかな人間関係を築くために『自分を知ること』『相手を知ること』を大切にしています。
小学校の頃の経験が活きています♪
 
“人生に無駄なことは一つもない”
いつやったか父から言われた言葉がよみがえってきました。

だんだん小さくなるお弁当箱

 
【中学生~高校生】
 
中学生になった私は、それから高3までの6年間、ソフトテニス漬けの生活を送ることになります。


 
高3の夏にあんな挫折を味わうことになろうとは、このときの私は全く想像もしていませんでした。
 
ソフトテニス部に入ったきっかけはめちゃくちゃ安易。
 
「中学の先輩ってなんか怖そうやし、お姉ちゃんと同じ部活にしとこー」
そんな理由で入部を決めました。
 
実際、姉のおかげで先輩からは多めに見てもらえることが多かった気がする。
末っ子はちゃっかりしてますよねー^^
 
はじめた理由はどうあれ、負けず嫌いの私は超本気で練習に励み、デビュー戦で優勝♪
 
”日焼け止めNG”なんて意味の分からない部則にもめげず、夏は真っ黒になりながら頑張りました。
(あの頃のおかげでシミ予備軍がいっぱいやろうな。。。)
 
姉の彼氏からは「ちびくろサンボやん」と言われ、乙女心が傷ついた思い出も。
ひどい話やわ。笑
 
***
 
高校へ行った私は、熱心な顧問と同じ志しをもった仲間のおかげでさらに強くなり、県大会は負け知らず。
近畿大会では3位に入賞し、海外遠征も体験させてもらいました。
 
今なら「よく頑張ったなー」と思えるけど、あの頃は日本一を目指していたので、それ以外の結果は喜べなかった。。。
 
あの頃の私に一言言えるなら
「その日ぐらい思いっきり喜んだらいいやん!」って言ってあげたい。
 
時には自分を褒めてあげんとね。
その反動なのか、今は褒めまくってます♪
 
朝も夕方もテニス。
寝る前もイメージトレーニングでテニス。
夜遅く、家の前で素振りをすることも。
 
実業団の試合を見に行ったときには、
「いつか私も実業団でテニスがしたい!」
「若いプレーヤーに夢とやる気を与えたい!」
そう思いました。
 
でも、それを叶えることは出来ませんでした。
  
***
 
高3の夏、右足を痛めてしまったんです。
数ヵ所の疲労骨折。
テニスを続けたら、さらに骨折する可能性があると医師から言われました。
 
その頃、いくつかの大学から推薦の声をかけてもらっていました。
 
「大学でもソフトテニスを続けたい!」
 
そう強く思っても、現実は足が痛くて思うようなプレイが出来なくなっていました。
 
気持ちに体が全くついてこられない状態。
 
めちゃくちゃショックでしたね。
 
持ち味だった重いボールが全然打てない。
こんな状態で大学へ行っても、迷惑をかけてしまうだけ。
 
いつか実業団で!と思っていたのに。。。
叶わない夢になってしまうのか。。。
 
辛くて食事が喉を通らなくなりました。
 
お弁当も食べられなくなって、どんどんお弁当箱を小さくしてもらいました。
 
そんな日々が続いて、気づいたら体重が6kgも減っていました。
 
今の私ならマイナス6kgなんてドーンと来い♪ですけど、高校時代の私は貧血で倒れてしまいました。
 
ソフトテニスを続けることは諦めました。
思いだけではどうにもならないことがあるんやなぁと知った高3の夏。
 
テニス以外の目標がなかった私は、なんとなく一級建築士の父をみて、建築について学べる短大へ進学することに。
 
それが、今の私に大きな影響を与えることになるとは、人生の選択って面白いものです。

ハーゲた、ハゲた

 

【社会人(20代)】
 

短大を卒業してから、社会人として働いた20代の頃の話。
 
私、結構いろんな会社を渡り歩きました。
 
20代最後に、とてつもなく嫌な上司と巡り合ってしまうんです。
 
ストレスがすごすぎてハゲました。
(ほんまやで~!二か所の10円ハゲ♡)
 
***
 
初めに就職したのは、大手の通信会社。
 
面接の印象が良かったそうで、入社式では70名の新入社員を代表して決意表明をしました。
 
人前で話すことが苦にならないタイプで、今、講師の仕事をしているのも強みを活かした結果です^^
 
社員研修がめちゃくちゃ充実していて、社会人のいろはを叩き込んでもらったので恵まれた環境だったなぁ〜。
 
あの頃はめんどくさいなと思ってたけど。
恩知らずなヤツですね。笑
 
お給料は良かったけど、やりがいを感じられないルート営業の日々。
短大で学んだ建築の知識を役立てたくなって、23歳のときにリフォーム会社へ転職しました。
 
***
 
リフォーム会社での仕事は、とてもやりがいがありました!
 
「もっとこうしたら良くなるんじゃ?」
という提案を受け入れてくれる社長で、ホームページを作ったり、間取りを描くソフトを新しいものに変えたり、色んな挑戦をさせてもらいました。
 
リフォームアドバイザーは、お客さまのお悩みを聞いて、そのお客さまにとって必要なリフォームを提案する仕事。
 
お悩みは十人十色。
全く同じ提案になることはありません。
いつも新鮮な気持ちで仕事ができるので飽き性の私にピッタリ♪
 
お客さまと内装の打ち合わせをするのが一番楽しかったな~。
 
「壁紙はどんなのにするか?」
「キッチンの扉は何色にするか?」
「床の柄はどれが良いか?」
完成をイメージしては、ウキウキ♪
 
空間づくりが好きなんですね~。
 
ただ、残念なことに、この会社は倒産してしまいます。
 
***
 
その後、新築の営業職を経て、ホームページの制作会社に就職。
 
ここではイヤな思い出しかない。。。
 
残業代が出ないのに夜中まで終わらない仕事。
給料は少ないのに、一流の物を持てと指導される理不尽さ。
 
(一流を知るのは大事だと思うけど〜)

一人暮らしをしていた私に、
「実家に戻って浮いた家賃でブランド品を買え」とも言われました。
 
とっても怖い女性の上司がいて、何かと怒られました。
 
よく覚えているのが、私がその上司に出した年賀状が元旦に届かなかったようで
「元旦に届かなければ年賀状の意味がない!」
「親にどんな育て方をされたの?」と親まで侮辱されたのがすごくショックでした。
 
私に病気が発覚して手術・入院が必要になったときには、
「他の社員達からはゆっくり休んでと声をかけられたかもしれないけど、本心で言ってる人がどれだけいると思う?」
と迷惑そうに言われてしまいました。
 
実際に迷惑をかけてしまったし、申し訳ないのだけど、この言い方には驚きました。
 
こんなに『愛のない人』がこの世にいたとは。。。
良い人生勉強をさせてもらいました。
 
普通なら手術に不安を感じるところだけど、あの頃の私は仕事を休めることに心底ホッとしていました。
 
ハードな仕事と怖い上司のおかげで、精神的にも体力的にも限界を超えていたから。
 
そして、この入院生活があったからこそ、今カラーコーディネーターの仕事をしている私がいます♡

カラーとの出会い

 

【カラーとの出会い】
 
28歳のとき、体調を崩して手術&1週間の入院、その後さらに1週間の自宅療養が必要になりました。
 
その2週間を病気のために使ったとは思いたくなくて、何か資格の勉強をしようと決めました。
 
楽しめそうなやつがいいな~と選んだのが”カラーコーディネーターの勉強”

入院前に図書館でカラーに関する本を何種類も借りてきました。

色彩検定のテキスト、似合う色、カラーセラピー、配色の本など。。。
 
カラーカードを切って貼って、配色をつくるワークもしました。
これが楽しくて、楽しくて♪
 
色んな色に触れていると、入院前は疲れ切っていた私がどんどん元気になるのを感じました。
 
コワーイ上司に
「次は何を言われるんやろう」とビクビクしていた心が、パーッと解放されたのも大きかったかな♪
 
入院中の真っ白のシーツにも救われました。
白に包まれていると、落ち着くんですよねー。
 
自分の中でモヤモヤしていた灰色や黒のイメージがリセットされて、新たなスタートに向けて前向きになれました。
 
そして、もう今の会社は続けられへん!と、復帰後に退職の意思を上司に伝えました。
 
その後しばらくは疲れ切った心のリハビリ!!
 
すぐに再就職はせず(する気になれなかったので)、好きなことだけをして、自分を甘やかしました。
 
一人暮らしなのに、仕事もしないで、北欧のファブリックパネルというインテリア雑貨を手作りしたり、ソフトテニスの社会人サークルで思いっきり体を動かしてリフレッシュしたり。
 
リッチなニートということで、ゴールデンニートと呼ばれてたなー。笑
 
(注意:そう思われていただけで、決してリッチではなかったですよ!)
 
3ヵ月ぐらいのんびりして、そろそろ就職せねば生活ができひん!
ということで、再就職。
 
働きながら、色の勉強は楽しく続けていました。
だって、好きやからー♡

 

ストレスからの解放!

 

【30代】
 

30代に入ってからは、何にも縛られず自然体で生きられているなぁと思います。
 
これまでのツライ経験のおかげやなぁ。
 
 
本気で打ち込んだソフトテニスを、足を痛めて辞めざるをえなかった10代。
 
どれだけ好きでも出来なくなることがあると知りました。
 
 
ハードな仕事とコワイ上司に心身ともに疲れ果て、2ヵ所もハゲた20代。
 
無理しすぎは絶対あかん!自分の心の声に耳を傾ける大切さに気がつきました。
 
 
一番しんどい時期にカラーを学びはじめて、色んな色を見るのが楽しくて、その時間に救われた。
 
色には気分を上げるパワーがあるって感じました。
 
 
30代は、自分の心と体に素直にあらゆる選択をするようになりました。
 
無邪気な子どものように、複雑なことは考えず、本心のままに。。。
 
 
小学校1年生の頃、はじめてバレンタインチョコをあげた男の子がいました。
優しくて、正直者で、かわいい男の子。
 
その男の子が、今の主人です^^
 
31歳で再会して、交際半年で結婚。
2年後に、娘を出産しました。
私と娘思いの優しい主人。
 
色んな理想を掲げていた大人の私よりも、小学校1年生の無邪気な私が選んだ人の方が信頼できるみたい。笑
 
 
起業したのも30代。
 
「会社に勤めなあかん」という自分のそれまでの価値観に
「ほんまにそうかなぁ?それを取っ払ったとして、やりたいことは何やろう?」と考えてみました。
 
その結果、大好きな色の知識を伝える色彩講師として起業。
 
大学での講座を任されたときには、家族みんなひっくり返ってました。笑
 
色は活用の幅がすごーく広くて、これまでに色んなお仕事をさせてもらいました。
 
商品パッケージのカラーデザイン、外壁のカラーコーディネート、政治家のカラーブランディング、セミナー講師など。。。
 
飽き性の私ですが、飽きるヒマがありません!
 
 
見た目の8割が色の影響なので、色には印象を一瞬で変えられる力があります。
選ぶ色で、気持ちにも変化が起こります。
 
 
色は、こんな方の役に立つ!!
 
・ビジネスで視覚効果を活用したい人
・子育てで心に余裕がない自分をご機嫌にしたい人
・仕事の人間関係に疲れた心を癒したい人
・心地よい空間で健やかに生活したい人
・自分に自信がなくて印象を良くしたい人
・センスを磨いて表現の幅を広げたい人

 
 
これからも色を楽しく活用する方法を伝えていきます♡
 
出会った人を癒し、勇気づけ、応援していくことも、私がやりたいこと。
 
こらからもご縁のある方を、全力でサポートしていきます♡
 
家族もそう。
主人と娘を癒し、勇気づけ、応援し続けたい。
おいしいごはんを食べて、たまには旅に出て、
楽しい時間をいっぱい共有したい!
 
そんな日常をこれからも大切に過ごしていきたいと思います♪
 
 
最後まで読んでいただいて、ありがとうございましたー^^
 

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